Japan Expoの歩み
イベントの誕生から、ヨーロッパにおけるジャパニーズカルチャーを代表するイベントとして確立されるまで、Japan Expoの歩みを順にご紹介します。
背景:フランスにおけるジャパニメーションと漫画
1978年、多くのフランス人が小さい家庭用テレビで、テレビ局Antenne2の番組『Récré A2』上にて放送された新しいアニメ『Goldrak(邦題:UFOロボ・グレンダイザー)』に出会いました。番組はこれまでの視聴記録を打ち破り、ジャパニメーションはフランスのテレビ上でセンセーショナルなデビューを果たしたのです。『Récré A2』では『キャンディ・キャンディ』『宇宙海賊キャプテンハーロック』、少し遅れて『家なき子レミ』や『コブラ』が続けて放送されました。
ジャパニメーションは80年代に一躍ブームとなり、視聴者もさらに多くの作品の放送を望みました。1987年から1997年にTF1の番組『le Club Dorothée』にて、『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』『シティーハンター』『愛してナイト』『キャプテン翼』『セーラームーン』等、今日名作と呼ばれている作品が次々と放送されました。
90年代初頭、ジャパニメーションの愛好家や、バンドデシネのファンは、初めてフランス語に訳された日本の漫画に出会います。大友克洋の『アキラ』を筆頭に、鳥山明の『ドラゴンボール』、高橋留美子の『らんま½』、竹内直子の『セーラームーン』等の出版が続きました。90年代後半、フランスの漫画市場は大発展を遂げたのです。
ジャパニメーション・漫画のファンは、次第に日本やその文化、流行、伝統、日常生活にも興味を持ち始めました。ファンの間では、ともに集いその情熱を分かち合う機会の登場が待ち望まれていたのです。
情熱、出会い、共有:Japan Expoの創立
Japan Expoの創立者、ジャン-フランソワ・デュフール、サンドリーヌ・デュフール、トマ・シルデは、80年代90年代、ジャパニメーションの熱狂のさなかで育ちました。テレビで放送されていたアニメはもちろん、3人は漫画、そして漫画やアニメの故郷である日本自体にも興味を持ちました。また3人は90年代半ばに入り、日本の漫画とアニメを推進する活動を行うと同時に日本の文化の豊かさに心を惹かれていったのでした。
多くの人々と日本への情熱を共有したいという一心で、3人は同人雑誌を出版、また、Japan Expoの原型とも言える1000~2000人規模のアニメファンのイベントを開催しました。
日本への旅行の後、ジャン-フランソワとサンドリーヌはその日本への情熱と、日本をもっとよく知りたいという願望を同じフランスの日本ファンと分かち合おうと固く決意しました。こうして2000年、ついに新旧の漫画やアニメ、Jミュージックやゲームに特化したイベント、Japan Expoが誕生したのです。
Japan Expoは日本やその文化に出会うための窓口として、また、日本のあらゆるエンターテイメントを網羅し、その懸け橋となることを目的として作られました。
若いビジターに興味を持ってもらうため、Japan Expoのプログラムの中では、遊びの要素を含んだ、また、教育的なアプローチが取られています。
第1回のJapan Expoでは、2500 m² の会場に3200人の来場者を迎えました。そして2015年、第16回の開催では、12万5000 m²の会場にて、来場者数は24万7473名に上りました。約15年前の第1回開催から今日まで、Japan Expoは常に発展と進化を続けています。
2000年
漫画・アニメ専用に割り振られたスペースに加え、写真展示や折り紙・茶道などのアクティビティを通じて、伝統文化にスポットを当てました。第2回Japan Expoも、同年に開催されました。
2001年
3回目のフェスティバルは、漫画・アニメに加え、ビデオゲームとJミュージックという新しいテーマを導入しました。この頃日本のアーティストはまだフェスティバルには参加していませんでしたが、日本のロックシーンの名曲がフランス人グループによって演奏されました。
2002年
2002年はJapan Expoの歴史にとって、重要な1年となります。1万m²を超えるLa Défenseの会場に場所を移し、また、初の漫画家ゲストとして、弐瓶勉(『BLAME !』『Biomega』)と秋元奈美(『ミラクル☆ガールズ』)を迎えました。
ビデオゲームコンテンツも大きく躍進しました。:任天堂が参加し、また多くの来場者がDance Dance Revolutionに好奇心を刺激されたようです。毎年新コンテンツが導入されるJapan Expoですが、2002年はマーシャルアーツに特化したエリアが設置され、来場者は剣道、居合道、空手やチャンバラなどを楽しみました。
2003年
来場者も年を追うごとに増え、フェスティバル創立当初のファンのみならず、一般の来場者もフェスティバルに興味を持ち始めました。
フランス初の遊戯王選手権やスタジオジブリ作品『猫の恩返し』のプレミア上映会が行われたほか、坂元亮介(『超電子バイオマン』レッドワン役)がゲストとして登場、来場者がリラックスできるような指圧のブースが設置されたり、子供専用エリアも設置されました。
2004年
Japan Expoは漫画をきっかけとして日本に興味をもったファンが、Jミュージックや伝統文化などに興味を持てるよう、あらゆるテーマの間の懸け橋となりながら日本文化を発信し続けます。来場者は、漫画やアニメの世界でおなじみの日本料理がフランスに入ってきたことをうけ、寿司の試食体験をすることができました。
また、初のJミュージックゲストとしてMana(元Malice Mizerギタリスト、現Moi dix Moisリーダー)を招待。観衆のみならず、プレスのJapan Expoに対する関心もますます高まっていきました。
2005年
2005年はJapan Expo活動休止の年でした。2004年の大成功を受け、Japan Expoはより多くの来場者を受け入れるため、新たな会場を探さなければなりませんでした。また新会場のみならず、今後より豊かなプログラムを提供し、さらなる発展を遂げるための方法を模索していました。
2006年
パリ・ノール・ヴィルパント展示会会場に場所を移し、Japan ExpoはJミュージック、とりわけビジュアル系音楽方面に力を入れました。また、ファッションの分野への取り組みも開始され、Jロック歌手土屋アンナのショーケースとともに、日本の13ブランドがファッションショーを行いました。
Japan Expo初のプロレスショーが登場。また、Japan Expoアワードが創設され、様々なジャンルにおける優良作品や優秀なアーティストに賞が授与されました。
NHKが「フランスでクールだと思われている日本もの」を日本に紹介するため、Cool Japanという番組をJapan Expoにて撮影しました。
2007年
Japan Expoにおけるゲストの数も増え、徐々に参加する著名人の数も増えてきました:『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親、坂口博信や。X JAPANリーダーのYOSHIKIなどが2007年のJapan Expoに参加しました。
会場面積は65000㎡に上り、Japan Expoは新コンテンツを発表し続けました:漫画喫茶が新たに設置されたほか、新しい文化ステージでは日本の日常生活についての講演会、マーシャルアーツのデモンストレーション、生け花のデモンストレーション、着物のファッションショーなどが行われました。
また、パンクファッションとゴシックロリータをテーマに、ラフォーレ原宿によるファッションショーが行われました。
2008年
フェスティバルの開催期間は4日間になりました。日仏友好150周年を記念し、日本の漫画史に残る著名な漫画家を展示を通して紹介しました。また、永井豪と小池一夫の2名のゲストが参加しました。
伝統音楽もフェスティバルに登場:和太鼓、琴、三味線などが文化ステージに登場。Japan Expoライブハウスが創設され、ビジュアル系からジャズ、エレクトロやポップロックなど、13のJミュージックのショーケースが無料で行われました。
2009年
Japan Expoはその10周年を記念し、10万㎡にまで面積を拡張しました。また、幅広い年齢層、出身地、来場目的など、来場者の多様性も増してきました。
約50組の日本人アーティストの中で、AKB48と漫画家グループのCLAMPが名誉ゲストとして迎えられました。
2010年
Japan Expoは、漫画、アニメ、Jミュージック、ビデオゲームにおける5人の名誉ゲストを含む、80名以上のゲストを迎えました。名誉ゲストの一人として『シティハンター』『キャッツアイ』の作者北条司、アニメ監督のこだま兼嗣を迎えました。
フェスティバルにてますますその重要性を増すビデオゲームのためビデオゲームステージが創設され、トーナメントやプレミア新作発表会、トークショーなどが行われました。
2011年
第12回Japan Expoでは、日本の最新モードを発信するためにJapan Fashion Daysが創設され、ファッションの分野がフェスティバルにて大きな発展を遂げました。最初のファッション名誉ゲストとして、h.NAOTOが招待されました。
European Cosplay Gathering決勝戦がメインステージにて行われ、1万5千人もの観客がヨーロッパの10各国から参加したコスプレイヤーのコスチュームとパフォーマンスを堪能しました。
2012年
Japan Expoの勢いはとどまるところを知らず、日本文化・ポップカルチャーのファンの最大の出会いの場としてありつづけました。また、大物ゲストも続々と登場しています:漫画名誉ゲストとして『20世紀少年』『Monster』『Pluto』で知られる漫画家の浦沢直樹、マクロスシリーズの30周年を祝し、アニメ名誉ゲストとして有名キャラデザイナーの美樹本晴彦、ゲーム名誉ゲストとして『メガマン』『ストリートファイター4』のプロデューサー稲船敬二 、ファッション名誉ゲストとして「カワイイ」カルチャーのアイコンであり歌手のきゃりーぱみゅぱみゅ、ミュージック名誉ゲストに『NARUTO』の主題歌を多く手掛けたFLOW、アニメ名誉ゲストに『One Piece』の音楽を手掛けた田中公平が声優の岩男潤子とともに登場しました。
新コンテンツとしては女子プロレスが登場。女子レスラーデュオTriple Tail.Sがリングで戦いを繰り広げた一方、伝統文化コンテンツでは、日本の甲冑職人によって観衆が見守る中、兜の製作が行われました。
2013年
フェスティバルの会場面積は12万5千㎡にも達しました。また、ホール4を全面貸し切りJapan Expoステージが進化。より良いコンディションで講演やその他イベントが実施できるようになりました。ビデオゲームステージも面積の拡大やライブストリーミングの設置など、大きく改良されました。
日本人からの注目度も大きく増し、日本の企業・自治体ブースは100を超えました。Japan Momentエリアでは伝統文化が紹介され、来場者は多くのアクティビティを楽しむことができました。また、伝統工芸の展示や、ステージでは忍者ショー、歌舞伎、伝統舞踊などが行われました。
第14回開催における来場者数は23万2876名に上りました。
漫画名誉ゲストに『北斗の拳』の30周年を祝して原哲夫が参加、アニメ名誉ゲストとして大物メカデザイナーの河森正治、ミュージック名誉ゲストとして°C-ute、Square Enix『ファイナルファンタジー』シリーズと『キングダムハーツ』シリーズから、ゲーム名誉ゲストとして橋本真司、北瀬佳範、野村哲也、鳥山 求、吉田直樹の5名が参加しました。また、スペシャルゲストのNIGHTMAREがショーでフェスティバルの締めを飾りました。
2014年
2014年にJapan Expoは15周年を迎えました。4日間の開催に代わり、フェスティバルは5日間に渡って行われ、来場者はさらに多くのプログラムやイベントを楽しむことができました。また、有名コスプレーヤーがコスプレステージに集結、素晴らしいショーを繰り広げました。
漫画名誉ゲストとして『きまぐれオレンジ☆ロード』のまつもと泉、アニメ名誉ゲストとしてスタジオジブリ作品を多く手掛けるディレクターの高坂希太郎、ビデオゲーム名誉ゲストとして『ストリートファイター』キャラデザイナーのイケノが参加しました。Berryz工房と°C-ute、12人のアイドルによる大きなコンサートがフェスティバル外でも開催されました。
アーティストの横田守のイニシアチブにより、東日本大震災で被災した相馬野馬追市を応援するため、多くの漫画家やイラストレーターによる歴史上の武将のイラストを展示する武者絵展が開催されました。
WABI-SABI エリアの面積は 840 m²に達し、祭りをテーマにした雰囲気の中で、日本の伝統文化が紹介されました。素晴らしい鳥居が入口に設置され、来場者は日本からやってきたアーティストや職人によるショーやデモンストレーションを楽しみました。
2015年
24万5000人を超える人々が日本文化に出会うために来場、Japan Expoはその豊富な内容を発展し続けています。ユネスコ無形文化遺産にも登録された和食に特化した『和食エリア』がフェスティバル史上初めて設置され、毎日日本人シェフによるデモンストレーションが行われました。
Japan Expoは若手アーティストの活躍の場でもあります。日本人ユーチューバーのうみくんが観客に大きくその活動をPRし、また、アイドルコンテストのTokyoCandoll優勝グループのLuce Twinkle Wink☆は、KARASUステージで初のヨーロッパ公演を成し遂げました。
Wacomとの提携によりマスタークラスルームが設けられ、フェスティバルのゲストとして招待されているプロや漫画家、アニメーターからテクニックを習いたいと希望する来場者が多く参加しました。
ビデオゲーム名誉ゲストとして『マリオ』の生みの親である宮本茂を迎え、ビデオゲームファンはマスタークラスに参加するなど、特別なひと時を過ごしました。また、漫画名誉ゲストとして『ラブひな』作者の赤松健、『エヴァンゲリオン』20周年を記念しアニメ名誉ゲストとして貞本義行、ミュージック名誉ゲストとしてVAMPSを迎えました。